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江原素六(えばらそろく)は、1842(天保13)年、貧しい幕臣の子として江戸(角筈)に生まれ、幕末の混乱の際は、幕府軍の指揮官として、鳥羽伏見戦などを戦いました。
1868(明治元)年、徳川氏の駿河移封にともない沼津に移住しました。同年、当時近代教育機関として最高水準にあった沼津兵学校の設立に加わり、その経営、運営にあたりました。
1870(明治3)年、アメリカの視察を命じられ、帰国後、殖産興業と教育事業に本格的に取り組み、集成舎(現沼津市立第一小学校)、沼津中学、駿東高等女学校(現県立沼津西高校)の設立に努力する一方、愛鷹山官林の払い下げ運動に奔走し、牧畜・植林・製茶・製靴などの産業おこしに尽力しました。この頃、洗礼を受け、キリスト教信者となりました。
また、自由民権運動に共鳴し、自由党の板垣退助などと共に遊説しました。1890(明治23)年には、第1回衆議院選挙に当選(以後7回当選)しました。この前年より東京に居を移し、東洋英和学校の校長やメソジスト教会中央会堂福音士としても活動を開始しました。
1895年(明治28)年、キリスト教の精神をもとに、麻布中学校を創立し校長となりました。
その後、1922(大正11)年脳溢血で亡くなりました。享年80歳でした。
墓は沼津市西熊堂にあり、毎年春に墓前祭が開催されています。
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